釐負羈~曹の共公に仕えた苦労人~
釐負羈(僖負羈)とは
釐負羈(僖負羈)は春秋時代の曹に仕えた大夫。
晋の文公(重耳)が諸国亡命している際にその人物を見抜き、誼を通じて後難を避けた。
奥さんがかなり優秀で、 女性の伝を集めた前漢の劉向の「烈女伝」伝が立てられている。
自宅を魏犨と顚頡という重耳配下の脳筋に燃やされて以降は史書への登場は無い。(ある?)
ダメな主君を戴いた苦労人のおっさん。
宮城谷昌光氏の小説「沙中の回廊」では、釐負羈の娘(?)が主人公士会の妻となる。
放浪公子重耳の扱い
他国亡命中、斉から衛を経由して曹に着いた重耳一行は曹の共公から、他国の公子としてのもてなしもされなければ、入浴を覗かれる(重耳が珍しい駢脅[へんきょう。あばら骨がくっついて一枚に見える]の持ち主だから)という無礼な対応をされる。
曹の共公からすれば、たかが他国の公子一人、ぞんざいに扱ったところで何も怖くはないとでも思ったのだろう。が、大夫である釐負羈はそうは考えず、道理を持って共公を説いた。
以下、「国語・晋語」にある共公と釐負羈のやりとり。
かなり適当な訳。(多分色々間違っているけど、だいたいこんなことを言ってるんじゃないかという感じ)
釐負羈「今、当国に滞在している晋の公子は、国君と等しい地位であるため、礼をもって接するべきではないでしょうか」
共公「諸国から逃げてくる公子は多く、ここを通らない人はいないのではないかというほどだ。 逃げた者にはそもそも礼が無い、そのような者達をどうやって礼を持って扱えというのか?」
釐負羈「『親族への愛』と『賢人の尊重』が政治の基だと聞いたことがあります。
客人に礼を持って接し、貧しい人に同情することは、礼の根幹です。
礼を用いて国家を統治することは、国家の常道であります。
常道を失うと、国家は自立してゆくことはできません。これは我が君も理解されていることと存じます。
我々の祖先である曹叔振鐸は周の文王の子であり、晋の祖先である唐叔は武王の子です。
周の文王と武王の功績は、姫の姓を持つ多くの国を設立したことにあります。
姫姓の国はみな親戚です。
だからこそ、姫姓の国々は何世代にもわたって国家間の親愛の関係を失うことはありませんでした。
今、我が君はこの伝統を捨て、親族たる国への愛を失っておられます。
また、晋の公子と彼の従者を我が君は軽蔑し、賢人として尊重しておられない。
『親族への愛』と『賢人の尊敬』の両方を失ったら、礼を失うことになり、国家を統治することはできません。
天から授かった富を守るには、道義に従った行いをするべきです。
玉帛や酒食は糞土のようなものです。糞土のような物を愛し、国家の常道を破壊するならば、我が君は君主の座を失い、集めた富も失うことになってしまうでしょう。
我が君には今一度お考えいただきたく存じます。」
共公は釐負羈の言に耳を傾けることはなかったという。
臣下の諫言を聞かないのはダメ君主ムーブ。
僖負羈の妻の眼力、重耳一行の人物を見抜く
重耳一行は無礼な対応に憤り、滞在を早々と切り上げて宋に向かおうとするも僖負羈に引き留められる。
釐負羈にとってみれば、共公の無礼のフォローのつもりか、自分だけ後の安全を買おうとしたのかどちらかはわからないが、重耳一行を食事に招待する。
食事の間、人物鑑定の能力のある妻に重耳一行を観察させ、食事の後にその感想を聞いてみたところ、
「重耳は賢人である。それにもまして驚いたのは、従者が皆宰相の器であるということ。一人の公子を複数の宰相が補佐しているのであるから、晋の君主になるのは明らかである。重耳が晋君となった場合、無礼を働いた国を討伐するはず。そうなると曹は一番に討たれてしまうだろう。そうなる前に早く手を打ったほうが良い。」
さすが烈女。
重耳に食料を贈る
曹は討たれてしまう可能性があるが、個人的に誼を通じておけば、後の災いを回避することができると考えた釐負羈は、宋へ出発する前の重耳に旅に必要な食料を贈った。食料には璧などの金品も入っていたが、重耳は金品を釐負羈に返し、食料だけもらって出発した。
難を逃れるが放火される
その後、晋君となった重耳(文公)が城濮の戦いの前哨戦として曹を攻め、共公を捕えるという事態になったが、曹通過の折、釐負羈から恩を受けた文公はそれを忘れず、釐負羈邸への一切の立ち入りを禁止し、略奪などをゆるさなかった。
文公のはからいで釐負羈は難を逃れることが出来たが、文公の手厚い対応をやっかんだ魏犨と顚頡によって、釐負羈邸は放火されてしまう。
命は無事だったと思われるが、これ以降の動きは追えなくなってしまう。
共公はその後釈放されたので、釐負羈も曹の大夫として政治に参加し続けたのだろう。
曹の国は晋の盟下として代を重ねるが、十代後の伯陽の時、晋に背き宋を攻撃。逆に宋の反撃に遭い滅ぼされてしまった。